太陽系筋肉

努力・友情・勝利…的なDNA
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第231回…カッチョイイコピー

2009070615350000.jpg

スプライトのコピーがカッチョイイ!

SEXIER THAN WATER

ホホゥ…やるじゃないですか!
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第230回…ザ・レスラー鑑賞

エヴァンゲリオン→ヱヴァンゲリヲンになったのは
制作委員会方式からの脱却で、自立して作品を制作する、
自分で自分のケツを拭く覚悟の表れなんじゃなかろうか?
 
ま、どうでもいや。
 
で、「ザ・レスラー」(109シネマズ横浜)

前評判と、1000円デーだったためフルハウス。
もし賞を獲っていなかったら、こんなに客入んなかっただろう?
ってのが正直で、「たられば」を言ってもしょうがないけど
作品の本質と集客力は、結びつかないんだろうな。
 
三沢の死で、こういうテーマの作品を観るにあたり
作品に向き合うモチベーションの持ち方が難しいものの
やはり観ておかねばという思いは強くて。
 
前評判よりも、全然報われない感じが、また…。
 
日本とアメリカでは文化が違うから
同じプロレスでも価値観や世界観に差があるので
「これがプロレスだ!」とは、個人的には思わなくて。

あくまで、そういう事実や側面もありますよ、という
捉え方でお願いしたいのだが、プロレスに興味がない人は
プロレスはそういうものだ、と断定的に思われてしまうのも
プロレスファンとしては、少し癪ではある。
 
が、それを含めても
プロレスが描かれた作品としては最上級だと思う。

ミッキーロークの悲哀というか憂いというか
にじみ出すぎていて、ラムというレスラーが
実際に存在していると錯覚させるほどのリアリティー。
 
自己確認、自己証明できる場所はリングしかない、
あまりに不器用で、自ら磔をのぞむような自傷的な振る舞いは、
ひたすらに切ない。
 
しかし、実際にラムのような生き方しかできない、
またはできなかったレスラーはたくさんいて、
この世から去ってしまった、数多くのレスラーの姿が
ふと脳裏に浮かんでしまう。

不器用な生き方しか出来ないのは不幸なのか?
輝ける場所がひとつでもあるのは幸福なのか?
 
そもそも幸か不幸か論じることはナンセンスだ。
生きている実感を一瞬でも感じることができれば
それだけでも、僕からすれば羨望である。

最後のシグネチャームーブ「ラム・ジャム」を放った後、
どうなったかは描かれていない。
しかし「ラム・ジャム」を放たないラムはラムでない。
存在意義を確認する高みに登るしかない。

トップロープから、見える景色は
その高みに登った人間だけが知りえる世界。
 
それだけで最高じゃないか?
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